ブラジルとペルー:世界遺産を巡る旅
Brazil and Peru: A tour around the World Heritage sites
6. クスコからマチュピチュへ From Cuzco to Machu Picchu
クスコを出発して次の目的地、マチュピチュに向かいます。
マチュピチュは数ある世界遺産の中でも、日本人に最も人気のあるサイトです。
1983年、マチュピチュは、「マチュピチュの歴史保護区(Historic Sanctuary of Machu Picchu)」としてユネスコの世界遺産に承認登録されました。
文化遺産と自然遺産の両方が評価されたもので、世界でも25しかない貴重なサイトです。
マチュピチュはアンデスの山深い大自然に抱かれたインカ帝国の歴史遺産ですが、インカの人々がここを放棄して以来、400年近く忘れ去られた場所でした。
1911年に当時米エール大学助教授だった歴史学者ハイラム・ビンガム(Hiram Bingham)がこのアンデス山中に謎の空中都市を発見し、ペルーの人たちも知らなかったその存在が世界に知らしめられ、人々が訪れるようになったのです。
UNESCOのマチュピチュのページからNHKの紹介ビデオを見ることが出来ます。
UNESCO
http://whc.unesco.org/
日本ユネスコ教会連盟:世界遺産
http://www.unesco.or.jp/contents/isan/
クスコからマチュピチュまではペルー鉄道が走っています。
PeruRail
http://www.perurail.com/
ペルー鉄道はほとんど観光用といっていいのでしょう。
クスコと北西のマチュピチュを結ぶおよそ120kmの路線のほか、クスコから逆方向、南東のティティカカ湖のほとりのプーノまで行く約400kmの路線があります。
不定期ですが、プーノから太平洋のある南西方向に向かって、グランドキャニオンより深いといわれ、コンドルが空高く舞うコルカ渓谷に行くための約250kmの路線もあります。
クスコーマチュピチュ間が最大のドル箱路線で、マチュピチュ発見者、ハイラム・ビンガムの名前を冠した豪華観光列車が走っています。
ハイラム・ビンガムに乗車するため、盆地にあるクスコから3800mの峠を越えて近郊のポロイ(Poroy)駅に車で向かいます。
クスコのサン・ペドロ(San Pedro)駅からも列車が出ていますが、この峠を越えるためにスイッチバックを何回か繰り返すとのこと。華麗なハイラム・ビンガムには似合わないようです。
ポロイ駅は簡素な駅ですが、お目当てのハイラム・ビンガムが待ち構えています、
車体は軽やかなブルーで、明るい金色がアクセントに使われています。
客車の横腹には"HIRAM BINGHAM"の文字と紋章が。
オリエント・エクスプレス、オリエント急行というのは、1883年にパリとイスタンブールの間で運行が開始された列車の名称です。郷愁を誘うエキゾティックな響きがありますね。
ベルギー人のナゲルマケールスが、広大なアメリカで利用した快適な寝台車にヒントを得て、当時のヨーロッパにはなかった、長距離の列車旅行を目的とした寝台車中心の列車編成を考案しました。そしてワゴン・リ社(正式には国際寝台車会社(Compagnie internationale des wagons-lits))を設立し、国や地域バラバラの鉄道事業者を説得してまわって、オリエント・エクスプレスの運行を実現しました。因みに社名にある「リ(lits)」とはフランス語で寝台のことです。
既存の鉄道網と機関車を利用して、旅を楽しむための独自設計の客車を用意し特定編成のユニークな列車を運行する、という、インフラとサービスの水平分業のビジネスモテル発想が19世紀後半からあったのですね。欧州は懐が深い。
現在ではワゴン・リ社は車両運行事業からは撤退していますが、いくつかの企業がワゴン・リ社の車両を買い取り修復し、あるいは復元して、欧州をはじめ各地でオリエント・エクスプレスを冠した豪華列車の運行を行っています。
ペルー鉄道の経営にも参加しているオリエント・エクスプレス・ホテルズ社は、このハイラム・ビンガムはもちろんのこと、ヴェニス〜シンプロン峠〜ロンドン間のオリエント急行(VSOE: Venice Simplon Orient Express)など列車の旅やクルーズの運営、ホテルやレストラン経営を五大陸にまたがって行っています。
地面とほとんど高低差のないプラットフォームでは歓迎のダンスが始まりました。日本でもおなじみのアンデスの楽器、ケーナ(笛)とアルパ(ハープ)による伴奏です。白いマントをつけた男性はコンドル役のようです。
出発前の客車内。
客車は、一方の側には4人一組が広い窓に広いテーブルをはさみ向かい合わせに座るボックス席、逆サイドには2人一組のボックス席が、左右にゆったりと並んでいます。
ファーストクラス車両の代名詞、プルマン・カーは、アメリカ人プルマンが真に快適な旅のための車両を求めて1862年に最初の車両を開発しました。先に触れたナゲルマケールスはこのプルマンの寝台車を利用して感動したのがきっかけで、コンパートメント方式に手直しした寝台車編成の列車を欧州に導入したのです。
その後1882年に設立されたプルマン社は英国にも子会社を作って進出、1920〜1930年代にかけて多くの豪華客車が作られました。
英国子会社は1963年に英国国有鉄道の完全子会社になりました。 オリジナルのプルマン・カーは1970年代までには次々に引退しましたが、80年代に11車両が修復され、今も異なる名称を持ち異なるデザインの豪華車両として英国各地で利用されています。
そのひとつ、ペルセウスは英国王室のロイヤル・トレインに利用されています。
ヴェニス〜ロンドン間のオリエント急行(VSOE)にも、英国内ではプルマン車両が使われています。大陸に渡ると今度はワゴン・リ社の寝台車中心の編成になります。
クスコとマチュピチュ間は1日1往復。朝9時にポロイ駅を出発し、ブランチのサービスがあって、約3時間半でマチュピチュの麓のアグアス・カリエンテス駅に到着します。復路は夕方5時45分に出発し、ディナーのサービスを含め約3時間半かけてポロイ駅に夜の9時過ぎに帰着します。
これは、ブランチとディナーのメニューとハイラム・ビンガムを紹介する小冊子です。
ほぼ定刻に列車はポロイ駅を出発し、やがてアンタ村のあるアンタ平原(Pampa de Anta)に入り、緩やかに下っていきます。
平原といっても山間ですからそれほど広いものではありませんが、3,000mの高地では貴重なものでしょう。ウルバンバ川の支流(場所によってポマターレス川とかワロコンド川と呼ばれるようです)がこの豊かな土地を作ってきました。
ウルバンバ川(Rio Urubamba)はクスコの北方のアンデス山脈が源流で、まずは山脈に沿って北西に流れ、クスコの北方を流れてマチュピチュ山麓を通り、北東に回り込んで世界最大の流域面積を誇るアマゾン川に合流します。
首都クスコの北の後背地のようなウルバンバ川の流れる谷間は、「聖なる谷」(Valle Sagrad)と呼ばれてきました。豊かな緑に包まれた快適な空間で、アンデスにおいてもっとも上質なとうもろこしが生産される地帯とされ、その他アンデス原産のジャガイモをはじめ野菜や果物の多くをクスコに提供しています。
日本でも高原野菜の評価は高いですが、この高地も朝夕の霧や一日の温度差が野菜の生育にいい影響を与えるようです。
この「聖なる谷」は、前回触れた4つのスーユ、インカ帝国の行政上の区分である地方には属さず、インカの王族の直轄地とされ、遺跡も多く残されています。ここの生産物は自分たち王族のためのみならず、配下の人民のもてなし、つまり、王側の「互酬」の精神の実践のためにも使用されていました。
これは最後尾の展望車両。
ラテンのデュオ"The Vera Brothers"がギターの弾き語りをしています。
彼らは兄弟で、以前は各地で演奏活動をし賞も貰ったりしたこともあるそうですが、現在はハイラム・ビンガム中心に活動しているようです。
展望車両の手前はサロン・カー。
二人が来て様々な曲を奏で歌い、憩う人たちが拍手を送ります。
展望デッキから眺めていると、村を通り過ぎました。
ワロコンド(Huarocondo)の村でしょうか。
やがて流れはウルバンバ川に合流します。
列車は平原を抜け、切り立った険しい岩肌が目立つようになります。
川岸近くの木の下に馬が何頭かいます。
遠いので、まるでアリのようにしか見えませんが。
川岸に農家があり、いささかやせた牛が草を食んでいます。
マチュピチュも近くなり、ウルバンバ渓谷と呼ばれるにふさわしい景色になってきました。
川にはラフティングを楽しむ3人乗りのボートが見えます。
このあたりはまだおだやかな流れです。急流をどこまで下れるのでしょうか。
進むにつれ両側の山の間隔が狭まり、渓谷はさらに深く流れは急になっていきます。
ここはインカ道の起点。
駅があり、向こう岸に渡るつり橋があります。
ここからマチュピチュまで徒歩や馬で行く人も多いようです。
窓の向こうに終点のアグアス・カリエンテス(Aguas Calientes)の町が見えてきました。
標高はおよそ2,000m。クスコからは1,400mほど下ったことになります。
目指すマチュピチュはこの左側、対岸の山頂にあります。
日本の山間の温泉地の雰囲気があります。
駅前にたくさん並ぶテント張りのみやげもの屋の間を通ってバスの乗り場に。
ここからバスでハイラム・ビンガム・ロードと名付けられた道を約30分で一気に上ります。
九十九折りという言葉がありますが、この坂道は13曲がりです。
Googleで眺めると松葉を13、交互に並べたような見事な形です。
標高差400mでかなりの急勾配ですが、もちろん舗装はされておらず、ガードレールもありません。手馴れた運転手は対向車もない前提かのようにガンガン飛ばします。
登りきると、山小屋風のマチュピチュ・ルイナス・ホテルの前で下車。
登山やトレッキングの服装・装備をした人たち、それに一般観光客でごった返しています。
ホテルで昼食を済ませ、そこからまだ見ぬ光景に期待しながら直線的にゆったりした坂を上り、 石の階段を登ります。
そしてついに目の前にあのマチュピチュの眺めが!
むしろ空が見えない分、下に広がる緑の谷が強調されます。
何というこの垂直感!
続きは次回。