ブラジルとペルー:世界遺産を巡る旅
Brazil and Peru: A tour around the World Heritage sites
7. マチュピチュ遺跡 その1
 The Historic Sanctuary of Machu Picchu part1


空中都市マチュピチュは、クスコから北西に直線距離にしておよそ80km。
標高3,050mのマチュピチュ山と、それよりも300mほど低いワイナピチュ(Wayna/Huayna Picchu)山をつなぐ尾根の稜線上にあって、2こぶラクダの背中に乗せた鞍のような位置です。

「マチュピチュ」は「老いた峰」、ワイナピチュは「若い峰」という意味。
発見者ビンガムが空中都市の名前に高い山の名前をそのままつけました。
マチュピチュは湿潤温暖な気候に恵まれ、年間を通じて快適な気候だそうです。 気温は年間を通じて零下に下がることもあるが、最高は30度以下。湿度は高く霧が多いが朝夕は摂氏20度弱でひんやりとしているとのこと。

ここはバスを降りたマチュピチュ・ルイナス・ホテルから登ってきて最初にたどりつく見張り小屋付近。登りきってはじめてマチュピチュ全体が見渡せる絶好の位置です。 期待を膨らませつつひたすら登ってきた観光客に真っ先にこの絶景を見せるのは、実に心憎い演出です。
マチュピチュの紹介写真はほとんどこのあたりからのショットですね。

方向は北ないし北北西を向いています。画面の右が東、左が西になります。
マチュピチュは南緯13度7分にあります。南回帰線は南緯23度26分を通るので、マチュピチュでは年の大半は太陽が北からさしますが、南からさすこともあります。

マチュピチュの街の標高は、ユネスコによれば2,430mあるとのこと。
しかしマチュピチュは自然の地形を利用して造られており、平坦な部分は広場などほんの一部です。建造物も同じ平面にあるものはほとんどなく、必ずといってもいいほど段差があります。マチュピチュの標高はどこを基準にしているのでしょうか。

ペルー鉄道のハイラム・ビンガムが到着したウルバンバ川沿いのアグアス・カリエンテスは右下の谷底になります。

しかし左の谷底を見ると、川が見えます。これもウルバンバ川なのです。

このあたり、北西に向けて流れてきたウルバンバ川は大きく蛇行しており、アグアス・カリエンテスからワイナピチュ峰を回り込んで南に流れ、さらに左の山を回りこんで再び北に向かいます。

前にそびえているのはワイナピチュ峰です。

マチュピチュ峰は後により高くそびえていますが、残念ながら雲に隠れてなかなかその姿を見せてくれません。

少し歩いていって後ろを振り返ると、見張り小屋が見えます。 長方形の建物の三方のみが壁と窓になっていて、マチュピチュの街を見下ろせる一方は壁がなく開け放たれています。風通しがよく、見通しもいいのが特徴とか。
これは「ワイラナ(Wyrana)」と呼ばれるインカの建築様式だそうです。 屋根は昔と同じようにイチュという高地に自生するイネ科の植物で葺いてあります。

崖のぎりぎりでカップルが写真を撮ってもらっていて、怖いようですね。 斜面は大きな階段状にギザギザに切り取られ、強固な石組みで補強されています。高さは3メートル近くあるでしょうか。

マチュピチュは大きく農耕地区と居住地区から構成されており、まず見張り小屋のあるところから続く農耕地区を抜けて居住地区に入っていくことになります。
居住地区と農耕地区は門がある以外、石壁できれいに隔てられています。

下の写真の丸いお盆のような部分、広場を囲んで遺跡のあるところが居住地区。
その手前に、斜め下に向かって居住区の高い壁、その脇に石の階段と水はけ用の深い濠がまっすぐ伸びています、石の階段は3,000段あるそうです。
これらを境界にして、写真手前に農耕地区の「アンデネス」と呼ばれる階段状の畑があります。見張り小屋付近はその最上部にあたります。

アンデネスは40度以上の急斜面に作られており、スキーなら上級者コースの感じ。 上から見ると何だかよくわかりませんが、下のほうにポツンポツンと人が見えます。

アンデネスを説明するのに段々畑という表現が使われますが、階段式ミラミッドにも似て巨人用階段といった風情。とても日本の棚田や段々畑を見るようなのんびりした気分にはなりません。 むしろNational Geographicにあった、石積みの壁に支えられた 「農業用テラス」という表現がふさわしいように思えます。
この石垣に守られた狭い帯状の畑が多数作られ、この都市に暮らす300人から1000人の住民に自給自足の野菜類を提供していました。

作物には朝夕の霧や雨によって十分に自然の水分が与えられ、日中に暖められた石は保温効果もありました。畑は上から土、川砂、小石、石の4層になっており、保水と水はけが考慮されていました。そのため500年無人のまま経過しても石組みが崩れることはありませんでした。
上と下の畑では気温差があり、異なる作物が作られたとのこと。

居住地区は、ぽつんと木の生えている中央の広場をはさんで、向かって左側の高台が神殿等のある神聖なエリア、右側が一般の居住地区となっていました。

まず、神聖なエリアを通って向こうの端、ワイナピチュの登山口まで行き、一般居住地区を回りこんでアンデネスまで戻ってくるのが一般的なコースです。
農耕地区を過ぎ、左の端のほうにあるマチュピチュ市街への玄関口、太陽の門に至ります。 ウルバンバ川からはるばる続くインカ道もこの太陽の門に続いています。

これは太陽の門をくぐって居住地域に入ってきたところ。

太陽の門の左右にはくぼみがあり、中に石の突起があります。 昔は観音開きの門があったようです。 上の大きな石の上には石の突起があり、侵入者を防ぐ細工が可能になっていたようです。

これは入り口近くにあるインカの家。旅行者用の宿泊施設「タンポ(tampo)」として使われていたのではないか、という説があります。
一定の形の石を積み上げるのではなく、様々な大きさの石をが組み合せて作られ、現在も形がしっかり保たれています。「ピルカ(pirka)」と呼ばれる建築形式です。


背景にアンデネスがあり、てっぺんには先程の見張り小屋が見えますね。

ここはマチュピチュ峰の尾根に設けられた石切り場です。
左斜面にはアンデネスと見張り小屋が見えます。
その後ろ、西南の方向に雲の切れ間からかろうじて見えるのがマチュピチュ峰。

マチュピチュにはもともとこのような花崗岩がごろごろしており、インカの建築材料には事欠かない場所でした。

石切り場の先にある主神殿前に観光客が集まっています。

この主神殿も三方に壁のあるワイラナ型の建築様式です。しかも長方形の同型の石を完璧に隙間なく積み上げる手法を「インカ皇帝スタイル」と呼ぶそうです。
しかし残念ながら、何らかの原因で中央の壁の右の方にすき間が見えます。地盤の作り方に問題があったのではないかとも言われています。
窓のように見えるのは飾り棚、といってもミイラ等を祭ったもので中央に7つ、左右に5つずつ、合計17あります。 中央には供え物用の大きな石が据えられています。

ひときわ高いところにあるのが「インティワタナ(Intiwatana/ Intihuatana)」です。 インティは太陽、ワタナはつなぐという意味。 すなわち、「太陽をつないでおく柱」として、テーブルのような石の台の上に高さ40cm弱の角柱を切り出した形になっています。単なる直方体ではなく、複雑な形をしています。

角柱は13度傾いているとのこと。13度というのは、このマチュピチュの緯度・・・。

確定はされていませんが、太陽の1年の動きを確認するための天文時計だったとのこと。「wata」は一年を意味します。日時計という説明もありますが、時間の概念はありませんし、農耕のタイミングを知らせるカレンダーのような働きをしていたようです。 インカの人々にとって夏至はとても重要な祭礼の日でした。

右の下ったところに2つ向き合った小屋があります。
これも一方が開放されたワイラナ形式。 準備室といわれていますが、このすぐ先にある「聖なる岩」を祭るための内陣のようなものという説や、ワイナピチュ入り口の管理のための施設であったという説もあります。

インティワタナから2つの小屋のほうに行くためには、左手にある狭い石の階段を降りて行くよう誘導されます。眼下には深い谷がひろがっているちょっとスリリングなコースで、高所恐怖症の人にはちょっとつらいかもしれません。

2軒の小屋の先にあるのが「聖なる石」。
山は信仰の対象とされており「聖なる石」はその象徴、という説がある一方、 東の正面に見えるヤナンティン(Yanantyn)山を模して大きな岩を加工したもの、という説もあります。

さてこれでマチュピチュの居住区の西半分、神聖なエリアを通過して北の端までやってきました。

次回は再び農耕地区に向かって戻ります。