My Favorite Travels And Places
(私の好きな旅と場所)
2.ルーアン(Rouan)


【はじめに】
ルーアンは、北フランス オート・ノルマンディー地方圏のほぼ中央に位置しセーヌ川中流河畔に発展した人口約11 万人の古都です。

そして、ローマ時代からセーヌ川の水運による交易で栄え、10 世紀からフランス統一国家が成立するまでのノルマンディー公国の首都でもありました。

クロード・モネ(Claude Monet)の「ルーアンの大聖堂」の連作でも知られるノートルダム大聖堂を始め、ゴシック様式の宗教建築が多く見られ“100 の鐘楼のある街”とも言われています。

そして15 世紀フランスとイギリスとの百年戦争でジャンヌ・ダルク(Jehanne Darc)が1431年5月30日に旧市場広場(Place du Vieux-Marche)で処刑された終焉の地でもあります。

私は、これまでに読む百年戦争やジャンヌ・ダルクについての書物を通し、さまざまな視点から描かれた中世フランスの政治的、宗教的情勢を背景とした時代や彼女の人間像に興味を持っていました。今回ルーアンを訪ねることが出来、私の興味を少し紐解いてみました。

<モネも描いたルーアンの大聖堂 >大原國章

<旧市場広場の1345 年創業フランス最古のレストラン“ラ・クーロンヌ”> 大原國章


【百年戦争とジャンヌ・ダルク】
百年戦争(Guerre de Cent-Ans)は、フランスでの王位継承権をめぐるフランスのヴァロア朝(1328-1498 年)とイギリスのプランタジニネット朝(1154-1399 年)との争いに起因し、1337 年11 月1日エドワード3 世(イギリス)がフィリップ6 世(フランス)に宣戦布告状を送付したことに始まります。

あわせてフランス国内での権力闘争に加え、ランカスター朝(1399-1461 年)にひきつがれたイギリス王国との領有権争いなどの複雑な社会的情勢を背景に1453 年10月19日にフランス軍がボルドーを奪還するまでの116年間におよぶ百年戦争となりました。

今日のフランスとイギリスの国境を決定した戦争でもあり、両国の国家体系や国民の帰属意識の違いもこの百年戦争により生まれたと言われています。

この百年戦争でイギリス軍に圧倒され、フランス軍(アルマニャック派軍)最後の砦と言われたオルレアンの戦いで、ジャンヌ・ダルクひきいるフランス軍(アルマニャック軍)が勝利をおさめ、イギリス軍に占領されていたロワール川沿いを制圧しランスにまで侵攻します。

そして歴代のフランス国王が即位の戴冠式をあげたランスのノートルダム大聖堂で、1429年7月17日シャルル7世をフランス国王に即位させる戴冠式を挙行するなど、フランス軍(アルマニャック派軍)の優勢はゆるぎないものでした。

しかし1429年9月8日のパリ奪還の戦いに敗れ、1430年5月23日のコンピエーニュの戦いにも敗れ、この戦線でジャンヌ・ダルクは負傷しフランス国内で対立していた自国フランスのブルゴーニュ軍にとらえられ、イギリス軍に売られルーアンのブーヴルィユ城の塔に投獄されます。

1431年2月21日に、イギリス軍の捕虜となったジャンヌ・ダルクを異端者とする宗教裁判が始まります。

この裁判の法的正当性のないことを主張したジャン・ル・メイトル(Jean Le Maitre)裁判長は、ほとんどの予審とその結審に欠席しますが、イギリスに加担し代理裁判長を務めることとなったジャン・ピエール・コーション(Jean Pierre Couchon)司教と60名余の聖職者達によって1431年5月24日 彼女を異端者としカトリック教徒であることを剥奪する判決がくだされ、数日間のやり取りの後に火炙りの宣告を受け、1431年5月31日 ルーアンの旧市場広場で処刑されてしまいます。

<シャルル7世が即位の戴冠式をおこなったランスのノートルダム大聖堂>

【何故火炙りに】
現在ジャンヌ・ダルクが火炙りで処刑された旧市場広場には、火炙りの薪を組むための石積みが残され、彼女のサーベルをモチーフとした十字架にも見えるモニュメントが物悲しくそびえています。

火炙りは、中世ヨーロッパにおける最も残酷な処罰とされ、とりわけカトリック教徒にとって火で焼かれ灰になることは、最後の審判を受ける際の亡骸が消滅し、又決して土に返ることが出来ないと言う宗教的意味を持たせた残忍な処刑であったようです。

そしてその上、敬謙なカトリック信者であったジャンヌ・ダルクの遺灰は、無惨にもセーヌ川に流されてしまってもいます。

<ジャンヌ・ダルクが火あぶりで処刑された処場(後ろはジャンヌ・ダルク教会)>

<ジャンヌ・ダルクのサーベルをモチーフとした十字架のモニュメント >大原國章


【おわりに】
ジャンヌ・ダルクの死後1456年7月7日 ローマ教皇により当時の裁判の判決が破棄され、 1920年5月16日 ローマ教皇ベネディクト15世により聖女と認められ、彼女の人権と名誉の回復が図られ今日にいたっています。

彼女が火炙りで処刑され、その人権と名誉が回復されるまでの約五百年は、 百年戦争をはるかにこえる彼女の戦いであったかの様にも思えます。

様々の社会的情勢や複雑な人間関係に翻弄される中で、19歳の若さで死と向き合うこととなったジャンヌ・ダルクの人間像を通し、生と死の原点を考えることとなったルーアンの旅と場所を、あえて My Favorite Travels And Places に取り上げました。

<ランス.ノートルダム大聖堂前のジャンヌ・ダルクの彫像>


次回は、少し南のモン・サン・ミッシェルを訪ねます。


【参考図書.他】
「ジャンヌ・ダルクの百年戦争」 堀越孝一 清水書院 1984 年
「ジャンヌ・ダルクの処刑裁判」 高山一彦訳編 白水社 2002 年
「オート・ノルマンディー」 フランス政府観光局 2008 年
映画「ジャンヌ・ダルク」 リュック・ベンソン監督、ミラ・ジョボビッチ主演
アメリカ 1999年


【作者プロフィール】
相馬正弘(そうままさひろ)
・京都市出身
・設計事務所を開設し、地域計画.都市計画.公園計画を中心に活動中
・大学の講師として後進の指導も
・趣味は、旅行.テニス

新連載「My Favorite Travels And Places(私の好きな旅と場所)は
ケータイ・サプリwebマガジンのための書き下ろしです。
使用されている写真の著作権は相馬正弘さんと記載されている方にあります。