My Favorite Travels And Places
(私の好きな旅と場所)
3.モン・サン・ミッシェルとその湾域
(Mont-Saint-Michel And It’s Bay-Area)


【はじめに】
モン・サン・ミッシェル(Mont-Saint-Michel )は、ブルターニュ半島北東のモン・サン・ミッシェル湾沖合の“海に浮かぶ天使”と呼ばれる修道院です。

1979年には、ユネスコ(UNESCO:国際連合教育科学文化機関)の世界遺産(文化遺産)に登録され、年間約350万人の観光客が訪れるフランス屈指の観光地です。

<モン・サン・ミッシェル>


今回は、モン・サン・ミッシェルのあゆみと、現在今日的課題として提起されるモン・サン・ミッシェルとその湾域の環境問題に対する取り組みについてまとめました。

【モン・サン・ミッシェルのあゆみ】
モン・サン・ミッシェルは、紀元前の先住民であったケルト人が、崇高で神聖な山を意味するモン・トンブ(Mont-Tombe:墓の山)と呼ばれていた小島に、対岸のアヴランシュ村サン・ベルジュ教会の司教サン・オベールが、708年に聖ミカエル(仏語:Saint-Michel=サン・ミッシェル)の「岩山に礼拝堂を建てよ・・・・」と言うお告げを受け、この小島に聖ミカエルを祀る礼拝堂を築いたことに起源します。

修道院としては、966年ノルマンディー公リチャード1世によりカトリック・ベネディクト派のノートルダム・ス・チール聖堂が建てられ30人ほどの修道士により活動が始まります。

以来カトリックの祈りをささげる聖地として知られるようになります。

13世紀には、周囲1Kmあまりの小島のグラン・リュー(Grande Rue:大通り)に巡礼者のためのレストランや宿泊施設などが整えられ、又修道院には、当時の先端建築技術を駆使し三層(一部四層)に積み重ねるようにして聖堂.図書庫.回廊.修道士の住居空間などが築かれます。

このころに今日見られる“天使が舞い降りた修道院”とも呼ばれるロマネスク様式とゴシック様式が融合した美しいシルエットの修道院となり、多くの巡礼者が訪れる巡礼地ともなります。

自給自足で神に向かい合う修道院での生活を通して、農産物の生産.加工.醸造に薬事や医療をはじめとする取り組みに加え、様々な分野での学術や研究がされそれらの先端技術や知識は、当時の生活や社会にそして産業の発展にも生かされています。

<道路沿いからのモン・サン・ミッシェル>


しかし、14世紀から15世紀にかけてのイギリスとフランスの百年戦争では、要塞として軍事施設に使われます。

そして16世紀の宗教戦争では、カトリック・べネディクト派の拠点であったことからプロテスタント・ユグノー派から攻撃を受けるなど戦乱の地となります。

18世紀のフランス革命後には、聖職に違反する修道士や僧侶に加え反体制派の政治犯等を投獄する刑務所としても使われています。

19世紀には、時代と歴史に翻弄される中で修道院としての活動も衰退し、さらに落雷.火災.風雨などのたび重なる天災による建物の崩壊に、貴重な書籍や財産などが略奪される人災にもみまわれ荒廃します。

1835年にビクトル・ユーゴ、ギュスターヴ・フローベール、スタンダール(=マリ・アン・ベール)をはじめとする著名な作家や知識人らにより、建築的.文化的.歴史的.資産として保存することが提唱され、建築家コージェ−ヌ・ヴィオレ・ル・デュックの修復設計も提案されます。

1841年フランス政府文部省国家遺産局長のプロスパー・メルメらが現地調査を行い、1874年フランス国家文化遺産に指定され、エドァール・コロワイエをはじめとする建築家グループにより本格的な修復工事が始まり、現在もその修復工事が継続されています。

1865年には、修道院としての活動も再開され、現在は3人の修道士と9人の修道女により運営されています。

1879年には、クエノン川(Le Couesnon)河口のカゼルヌ(Casernu)からモン・サン・ミッシェルまでの約2kmに、修復用資材の運搬と修復後の観光を勘案した道路が建設され、1901年には鉄道の軌道も敷設されます。(鉄道は後に廃止)

この道路の建設には、反対意見もありまいしたが、迅速な修復工事と安全な巡礼や観光に大いに寄与します。 (それまでは、モン・サン・ミッシェルへは、干潮時に干潟を歩いて渡り訪ねることしか出来なかった不便さと、満潮時の潮流に足をさらわれ溺死するなどの危険を伴っていました)

しかし、この道路の建設は、干潟への砂の堆積を促進させ、湾域の漁業などに影響を及ぼし、モン・サン・ミッシェルとその湾域における環境問題を提起することになります。

<モン・サン・ミッシェルから見た道路と駐車場>


【モン・サン・ミッシェルとその湾域における環境問題】
モン・サン・ミッシェルへの道路が建設されて約100年後の1980年代になり、湾域の自然環境や景観に及ぼす影響が社会問題として顕在化します。

今日明確な因果関係は立証されていませんが、道路の建設による湾域の砂の堆積は、陸地化と潮流の変化をもたらし、加えて湾域に流入する河川の水質汚染に原因する海洋汚染等が相まって、湾域漁業の漁獲高や魚種の減少につながったのではと指摘されています。

又、1970-1980年にかけてカンカル(Cancale )をはじめとする、サン・マロ湾沿岸のフランスを代表する牡蠣.ムール貝.海藻類の養殖に製塩などに及ぼした壊滅的な被害は、直接的には病原菌の繁殖によるものとされていますが、この病原菌の発生を誘発した原因として、周辺地域での農地開発や地域開発等による河川の水質汚染がもたらす海洋汚染に異常気象や潮流変化等が、複合的かつ複雑に関係し生態系に影響と変化を及ぼしたことによるものではないかと考えられています。

加えて、かつての“海に浮かぶ天使”や“天使が舞い降りた修道院”と賞賛されるモン・サン・ミッシェルの景観が、道路により阻害されているのではと指摘されます。

こうした世論にも啓発もされフランス政府は、国家プロジェクトとしてモン・サン・ミッシェルとその湾域の環境改善対策について検討をはじめ具体的施策として、モン・サン・ミッシェル湾に向かって流入するクエノン川に河口堰を設け湾域に堆積する砂の除去工事を手始めとする環境改善事業の着手を表明します。

<陸域側からのモン・サンミッシェル>

<工事中のクエノン川河口堰>

<クエノン川河口堰のロータリー式水車>


道路の建設に伴うモン・サン・ミッシェル湾の干潟に堆積する砂の量は、年約0.3mmと推定され100年で約0.3m程度と試算されていましたが、実際は2mを超える砂の堆積が確認され干潟の陸地化が現在も進んでいます。

道路の建設に伴い堆積した砂の除去方法については、さまざまな視点から検討され、モン・サン・ミッシェル湾の最大潮位差約15m.潮流速度約1m/secであることと日に二回の大潮を生かし、クエノン川河口に堰を設け、満潮時にこの堰の上流に逆流する海水約150万立方メートルを取り込み貯水し、干潮時に下がる潮位にあわせクエノン川の水とあわせ8基のロータリー式水車により勢いよく放流し、砂を一気に沖合に押し流そうと言う世界で始めての方法が採択されます。

あわせて、道路を撤去しかつての潮流をとりもどすとともに、湾域の自然環境と景観の回復を図ろうと計画されています。

そしてモン・サン・ミッシェルへの巡礼と観光は、道路に代わる新たな橋の建設により、対岸のカゼルヌのターミナルと駐車場からシャトルバスで輸送するとしています。

2006年6月17日にドミニク・ドビルバン首相らが出席しクエノン川河口堰工事着工式が挙行され2010年の竣工を目指し、道路の撤去と架橋を2012年に完成させる取り組みがはじまりますが、現在工事は遅延し2025年の完成予定です。

<モン・サン・ミッシェルへの架橋完成図>


一方、モン・サン・ミッシェル湾の砂の堆積は、自然の摂理として認めるべきだとする意見のあることについてもふれておきます。

モン・サン・ミッシェル湾には、日に二回の大潮の満潮時に約1億トンの海水が沿岸に打ち寄せ同時に砂も運ばれますが、引き潮のエネルギーは、満ち潮のエネルギーの約1/3とされることから、砂の自然堆積が繰り返えされ、結果これまで年間約20-40haの干潟や砂浜等の陸域を創出しています。

その結果、世紀単位の経過の中でモン・サン・ミッシェル湾の水深は、7-14m浅くなったと言われています。

この砂の自然堆積により、やがてモン・サン・ミッシェルまでが半島化あるいは陸地化することは、それ自体が自然の遷移ではないかとする考えです。

この議論の結果は、クエノン川河口堰の建設や道路の撤去などの対策を含めモン・サン・ミッシェル湾域の環境改善事業が完成する2025年以降に結果が出されることになります。

このような建設的な議論に加え、このモン・サン・ミッシェルとその湾域における環境問題への取り組みは、これからの時代の環境問題を解決するキーワードを担うと期待する私の好きな場所でもあります。

<モン.サン.ミッシェルとその湾域の環境改善工事竣工図>


さて数百年後には、神秘的なまでのモン・サン・ミッシェルの景観が継承されていますか興味はつきません。

次回は、となりの地方圏ブルターニュに足を運びたいと思います。

【参考図書.他】
・「モン・サン・ミッシェル」 ジェラール・ダルマル デ・ルチア千佳子訳 2008年10月
・「ノルマンディー」 フランス政府観光局 2008年版
・「Mont-Saint-Michel」Mont-Saint-Michel Tourist Information Office 2009年
・「France Magajine」Le Jounal du Clab France 2006年8月
・(DVD):NHK 世界遺産 100 「天使が舞い降りた修道院モン・サン・ミッシェルとその湾」  NHK エンタープライズ 小学館 2009年


【作者プロフィール】
相馬正弘(そうままさひろ)
・京都市出身
・設計事務所を開設し、地域計画.都市計画.公園計画を中心に活動中
・大学の講師として後進の指導も
・趣味は、旅行.テニス

新連載「My Favorite Travels And Places(私の好きな旅と場所)は
ケータイ・サプリwebマガジンのための書き下ろしです。
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