My Favorite Travels And Places
(私の好きな旅と場所)
7.クロード・モネの庭へ(Au jardin de Claude Monet)
その1.印象派の画家達と時代背景

【はじめに】
今回は、“光の画家”ともいわれた印象派を代表する画家“クロード・モネの庭へ"と題し3回にわたり連載いたします。

クロード・モネの作品は、世界の多くの人々をとりこにし魅了しています。

そのモネが、とりことなり魅了されたジベル二ーでの庭づくりと植物への思いの足跡をたどりたいと思います。

その1.印象派の画家達と時代背景(印象派の画家達をはぐくんだ19世紀のパリのランドスケープ)

その2.ジベル二ー・モネの庭へ (クロ・ノルマンの庭と睡蓮の庭)

その3.クロード・モネと日本 (浮世絵とモネの庭)

<モネの庭(モネの寝室から見たクロ・ノルマンの庭)>

<モネの庭(睡蓮の庭)>


【印象派の画家たちと時代背景】
その1.印象派の画家達と時代背景 (印象派の画家達をはぐくんだ19世紀のパリのランドスケープ)では、ジベル二ーのモネの庭を訪ねるのに先駆け、ブーダン、モネ、セザヌ、ルノワール、ゴーギャンらの印象派に関係深い画家達と19世紀の時代背景が、どのよう影響し又、彼らの絵画や活動が時代や社会にどのように影響を及ぼしたかを、パリの街づくりとランドスケープを通し紐解いてみたいと思います。

:ウジェーヌ・ブータン(Eugene-Louis Boudin 1824-1898年)
:クロード・モネ(Claude Monet 1840-1926年)
:ポール・セザンヌ(Paul Cezanne 1839-1906年)
:オーギュスト・ルノワール(Auguste Renoir 1841-1919年)
:ポール・ゴーギャン( Paul Gauguin 1848-1903年)


【産業革命とフランス革命】
モネをはじめとする印象派の画家達が活躍する少し前の、18世紀から19世紀にかけてイギリスに始まる産業革命は、それまでの道具による生産から機械による工業化大量生産へと移り、人々の生活も社会や経済にも大きな影響を及ぼしヨーロッパ各国から世界にひろまり今日にいたっています。

又、1789年7月14日、パリのバスティーユの襲撃に始まるフランス革命は、今日の市民社会や民主主義の礎となり、自由と平等の社会へと発展するきっかけとなります。

この2つの大きな潮流は、当時のパリの街づくりやランドスケープにも大きな影響を及ぼしています。


【パリ改造計画】
パリは、508年にフランク王国の首都が置かれて以来、外敵からの侵略を守る城塞都市と築かれてきたため、中世の面影をとどめる一方で、屈曲した狭い道に街の日照(採光)や風通も悪く、公園等のオープンスペースも少なく、汚水処理も十分でなく不衛生で1832年には、コレラが流行し約2万人の市民が亡くなっています。(当時のパリの人口は約85万人)

加えて中世のパリの街は、人口の増加や社会の変化への対応も遅れて、快適で住みよい環境の街ではなくなりつつありました。

フランス革命後、テュイルリー宮殿、ルクサンブール宮殿、ルーブル宮殿などのかつての王宮や王族の庭園が公園として市民に開放されますが、本来のランドスケープとしての機能を位置づけた公園に起源するものではありませんでした。

ランドスケープの持つ・生態や自然環境の保全・生活環境の保全・都市防災・レクレーショナルな空間の提供・快適性や美観性の創出・都市の骨格形成等の機能を街づくりに位置付けたのは、1853年にナポレオン三世の第二帝政下でセーヌ県知事に任命された ユジ ェーヌ・オスマンによるパリ改造計画でした。

:ナポレオン三世(Napoleonn V)
(=Charles Louis-Napoleonn Bonaparte 1708-1873年)
:ユジェーヌ・オスマン(Georges-Eugene Haussmann 1809-1891年)


このパリ改造計画により、1853年から1870年までの約18年間をかけ鉄道、幹線道路、集合住宅、上下水道、公園、緑地、広場に墓園等の都市基盤整備が実施され、今日見られるパリの街の原型が整います。

このパリ改造計画の注目すべき考え方の一つに、ナポレオン三世の生産性の高い社会を築き活発な経済活動を通し社会と市民(個人)の双方に豊かさをもたらし、誰もが福祉を享受できる社会を実現するには、都市を火災などから守り、快適で健康的で安心して住め生活することのできる街と環境が創出できる公園.緑地.広場等のオープンスペースの必要性を位置づけた立案であったことを上げることができます。

こうした考え方はナポレオン三世が、社会主義思想家でスエズ運河の提唱者でもあったサン・シモンの影響を受けていたことと、1661年のロンドン大火から都市防災の必要性を感じていたことに加え、自身がロンドン滞在中(亡命中)に自然に接する生活体験が多くあったからと言われています。

:サン・シモン( Saint・Simon 1760-1825年)

このパリ改造計画で整備された公園.緑地は、22ヶ所(内15ヶ所がパリ市内)があげられ、その主なものは下記の通りです。

・ブーローニュの森とロンシャン競馬場(850.0ha)
ブーローニュの森は、8世紀以来ルバレーの森と呼ばれ、1528年フランソワ一世がブーローニュ城を築き周囲を狩猟場でしたところを、フランス革命後政府が接収し1852年に公園としての整備が始まり、約40万本の樹木が植栽され1854年に完成し、隣接する敷地に1858年にロンシャン競馬場が建設され1860年には馴化園と動物園が整備されています。

1777年シャルル10世=アルトア伯爵(マリー・アントワネットの義兄)によって造園された薔薇の名園バガテル公園(24ha)と全仏オープン.テニスが開催されるローラン・ギャロスもブーローニュの森の一角にあります。

:フランソワ一世(Francois T1494-1547年)
:シャルル10世=アルトア伯爵(Chales ] 1757-1793年)
:マリー・アントワネット(Marie Antoinette 1755-1793年)

・モンソー公園(8.2ha)
モンソー公園は、1852年に政府が没収したオルレアン公爵の庭園をパリ市が買取り、王族の庭の雰囲気を残しながら、新しい人工の滝やピラミッド等を築き公園とされています。

・ヴァンセンヌの森(995.0ha)
ヴァンセンヌの森は、12世紀にルイ17世が離宮を築いて以来ブルボン王家の狩猟場であった森を、フランス革命により国有化され1857年に公園の計画が立案され1865年に公園として開園しています。

・ビュット・ショーモン公園(24.7ha)
ビュット・ショーモン公園は、13世紀以来の採石場で、その後に処刑場や塵の廃棄場などとされ荒廃しますが、1862年に変化に富んだ地形を活かした公園として整備が始まり1867年に完成しています。

・モンスリー公園(15.4ha)
モンスリー公園は、かつての建築用石材の石切場跡の自然を活かしイギリス自然風景様式の公園として整備され1860年に開園しています。


【新しい潮流と展開】
ナポレオン三世は、約2,000.0haにおよぶこれらの公園や緑地のエスキース(構想下図) を自らが描いてもいますが、そのモチーフ(主題)は、自然を活かし曲線により構成される優しさのただようデザインでした。

そしてナポレオン三世は、工事中の現場にもたびたび足を運んでもいます。

これらの公園.緑地のランドケープは、ベルサイユ宮殿の庭園に代表される左右対称の幾何学模様を基調とするフランス庭園様式から、自由曲線を取り入れたイギリス自然風景様式のデザインへと移って行きます。

<パリ改造計画以前のブーローニュの森(1850年以前):Chadwick 1966 p.140>

<パリ改造計画のブーローニュの森計画図 Pinkny 1972 p.116-117>

このように、公園.緑地の位置付けやデザイン上の変化は、19世紀の新しい時代へ向けての社会や生活と街の機能との呼応にほかなりませんが、同時に自由な発想や明るく健康的な生活や活動に対する期待の現われであったと言えます。

又、こうした時代の変化やあたらしい潮流を、身近に感受したのが当時の印象派の画家達や作家達であったと言えます。

その様子は、パリ改造計画で一新された都市の風景や生活を主題とした絵画や文学作品にも見ることができます。

主な作品には、下記が上げられます。

(1)絵画作品 

・「テュイルリーの音楽会」(1862年)
エドアール・マネ(Edouard Manet 1832-1883年)
ロンドン.ナショナル・ギャラリー 蔵

・「庭の女たち」(1866年)
クロード・モネ(Claude Monet 1840-1926年)
パリ.オルセー美術館 蔵

・「テュイルリー」(1876年)
クロード・モネ(Claude Monet 1840-1926年)
パリ.マルモッタン美術館 蔵

  ・「モンソー公園」(1876年)
クロード・モネ(Claude Monet 1840-1926年)
ニューヨーク.メトロポリタン美術館 蔵

・「モンスリー公園」(1908-1910年)
アンリ・ルソー(Henri Rousseau 1844-1910年)
箱根ポーラ美術館 蔵

・「パリ.カルーゼル広場」(1910年)
アルベール・マルケ(Albert Marquet 1875-1947年)
箱根ポーラ美術館 蔵

(2)文学作品

・「獲物の分け前」(1871年)
エミール・ゾラ(Emile Zola 1840-1902年)

・「失われた時を求めて.」(1913年)
マルセル・プルースト(Marcel Proust 1871-1922年)


【継承と創造】
モネの絵画からは、自然の美しさの中にふりそそぐ明るい陽の光に、喜びや幸せにその先の希望や期待までもがふくらんでもくるかのように感じられます。

又、彼らの自由な発想や独自の創作への取り組みは、次の世代に受け継がれてゆく精神として醸成されるものであったと言えます。

20世紀パリのラ・デファンス.モンパルナス.ベルシ−等の再開発にポンピドー・センターの建設.ラ・ビレット公園.アンドレ・シトロエン公園.ベルシー公園.プロムナード・プランテ(緑と花の遊歩道)等のランドスケープは、少なからず歴史を継承し未来へつながる期待と創造の規範を示した、モネをはじめとする画家達や文学者達の影響を受けてもいます。

<ラ・ビレット公園>

<アンドレ・シトロエン公園>

パリの街は、こうした思いをめぐらし、歴史と新しさとを実感する事の出来る私の好きな旅先でもあります。

次回その2.では、ジベル二ーのモネの庭をたずねます。





【参考図書.他】
・「都市と緑地」石川幹子 著 岩波書店 (2001年)
・「ボナールの庭.マティスの室内・日常という魅惑」天野知香.島本英明 著 
ポーラ美術館編修 (2009年)
・「モネの庭へ」南川三治郎 著 世界文化社 (2008年)




【作者プロフィール】
相馬正弘(そうままさひろ)
・京都市出身
・設計事務所を開設し、地域計画.都市計画.公園計画を中心に活動中
・大学の講師として後進の指導も
・趣味は、旅行.テニス

新連載「My Favorite Travels And Places(私の好きな旅と場所)は
ケータイ・サプリwebマガジンのための書き下ろしです。
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