My Favorite Travels And Places
(私の好きな旅と場所)

17.トレベレス(Trevélez)


【はじめに】

トレベレス(Trevélez)は、イベリア半島 シェラ.ネバダ山脈(Sierra Nevada)南麓アルプハラ高地(Las Alpujarra)の標高1,476mにあるスペインで最も標高の高い地点にある村です。

人口850人ほどのプエブロ.ブランコス(Pueblo Blancos )と呼ばれる白い村の一つで、シェラ.ネバダ山脈の最高峰ムルアセン山(Mulhacen:3,478m)への登山口に位置しています。

トレベレスへは、地中海側のモトリル(Motoril)とグラナダ(Granada)を結ぶ高速国道A-44のペロトス(Pelotos)を右折(グラナダからは左折)し、地方道A-348で名水の里で知られるランハロン(Lanjaron)に向かいます。

ランハロンからは、山岳道路でトレベレスへの標識をたどりポケイラ渓谷(Valle de Poqueiria)の断崖絶壁と幾つかの白い村を抜け車で約1時間30分です。

<アルプハラ高地(Las Alpujarra)>


<トレベレス(Trevélez)>



【山紫水明の白い村】

トレベレスは、15世紀 アラゴンのフェルナンドU世国王とカスティーリャのイザ ベルT世女王との結婚と、カトリック両国の合併により生まれたスペイン王国の台頭に、レコンキスタ(Reconquista =国土復興運動)によるカトリック教徒の攻勢を受け、1492年アラブ.ナスル朝(グラナダ王国)のアルハンブラ宮殿を、ボアブディル国王一族が開け渡してのがれた地です。

:フェルナンドU世 (Fernando U:1452-1516年) アラゴン国王
:イザベルT世 (Isaberu T:1451-1504年) カスティーリャ女王
:ボアブディル王 (Boabdil, 1460-1527年) アラブ.ナスル朝(グラナダ王国)
 最後の君主

ボアブディル王一族とともにイスラム教徒の人々は、1000mを越える急峻で岩だらけで平坦地のないアルプハラ高地に、パンパネイラ(Pampaneira:1058m).カピレイラ(Capileira: 1436m).ブビヨン(Bubion).トレベレス(Trevélez:1,476 m)をはじめとする10数ヶ所の白い村を築き、この地で約80年間グラナダ奪還を試みスペイン王国に抵抗した前線の地でもあります。

しかし1570年のアルプハラの戦いに敗れ、約800年間住み続けたイベリア半島から北アフリカに追放されたアラブ.イスラム教徒終焉の地でもあります。

トレベレスは、夏も雪をいただくシェラ.ネバダ山脈南麓の厳しい自然と幾重にも重なる深い谷間に、ひっそりとたたずむ山紫水明の白い村です。

そして美しい景観の中に、イスラムのアイデンティティー(Identity)を色濃く残している白い村です。

<トレベレス(Trevélez)の家並み>


<かつてはロバの水飲みの場として使われていた小屋>



【ハモン・セラーノ・デ・トレベレス(Jamon Serrano de Trevélez)】

トレベレスで生産されるの生ハムの ハモン・セラーノ・デ・トレベレス(Jamon Serrano de Trevélez)は、イタリアのパルマハムと中国の金華ハムと並ぶ世界三大ハムの一つとして有名です。

ハモン・セラーノ・デ・トレベレスは、世界で最も生ハムの生産量の多いスペインの中でも僅か2%ほどしか生産されていない貴重な最高級品です。

生ハム生産の歴史は、紀元前の2800年頃にイベリア半島で豚が飼育され日常の食料とされていた時代に起源します。

紀元前のギリシア時代に、野菜や魚に肉等を塩漬けにし長期保存するための調理法が発達し、中でも生ハムの美味しさは文献にも残されています。

又、5世紀頃から保存食料として常備するという食文化もスペインに定着し、コロンブスも何度もの航海に生ハムを蓄え出帆しています。

ハモン・セラーノ・デ・トレベレスは、スペイン各地の養豚農家で飼育された白豚 の後脚をトレベレスに運び、地中海の天然塩で塩漬けに加工され、高原の乾燥した冷気に20ヶ月間以上をかけ自然熟成させ、深みのある味わいと香りと甘みのある生ハムに仕上げられます。

1862年には、スペイン女王イザベルU世が王室の王冠を生ハムに刻印することを許諾されるほどで、今日もEUの厳しい品質管理統一制度による保証がされ一本一本にナンバリングされたタグが付けられています。

:クリストファー・コロンブス(Cristoforo Colombus 1451-1506年)
 探検家・航海家・奴隷商人
:イザベルU世 (Isabel II, Isabel Maria 1830-1904年) スペインの女王

余談になりますが、トレベレスのレストランでスライスされ脂が少し溶けた生ハムのハモン・セラーノ・デ・トレベレスとアンダルシア産の赤ワイン(El Vino rojo delpueblo)は、忘れることの出来ない格別の味わいでした。

<トレベレスのレストランに吊される生ハム>




【イスラムの郷愁】

前回訪ねた白い村フリヒリアナ(Frigiliana)もトレベレスも、カトリック教徒からの攻勢や迫害から逃れたイスラム教徒のムーア人により築かれた白い村です。

しかしアルプハラ高地の建物は、冬の積雪と寒さに耐えるため壁が厚く屋根が粘板岩のスレートや砂利が敷かれ、家々には暖炉と煙突が設けられたテラオス(Terraos)と呼ばれる平屋根の建築様式で、温暖な地中海沿岸の白い村との違いと特徴が見られます。

<トレベレスのテラオス(Terraos)>


イスラム教徒たちがイベリア半島から北アフリカに追放された後のアルプハラには、イスラム教徒からカトリック教徒に改宗したモリスコ(Morisco)と呼ばれる隠れイスラム教徒の人々と、カスティーリャ(Castilla)やハエン(Jaen)などから移り住んできたカトリック教徒とが共に暮らすようになり今日にいたっています。

今日もグラナダからシェラ.ネバダ山脈の峰々を越え、トレベレスをはじめとするアルプハラの白い村々へいたる道は、登山道と国立公園の管理道路のみです。

この険しい山道を、15世紀スペイン王国に都グラナダを開け渡したボアブデイル王一族とイスラムの人々は、どのような思い出で山越えをしたのでしょうか。 又 アルプハラの地でグラナダ奪還と覇権の志にも破れ、どのような思いで海を渡り北アフリカに逃れたのでしょうか。

この地は、無念の思いの歴史を秘めてもいます。

今日のトレベレスは、こうした歴史を越えて、静かで平和な時間が流れ、シェラ.ネバダ山脈がもたらす雪解けの澄んだ水と冷たい風にも、優しさと豊かさすら覚える、私の好きな場所でもあり旅(路)でもあります。


【参考文献・参考図書】
・光と影永遠なる国「スペイン.アンダルシア紀行」渡部雄吉 著 クレオ(1997年)
・「スペイン」増田義郎 監修 新潮社(1998年)
・「南スペイン.アンダルシアの風景」川成洋.坂東省次 編 丸善(2005年)
・「FIGARO」スペインとイタリアの小さな町 アンダルシアとトスカーナ
   阪急コミュニケーションズ(2009年)
・「グラナダ」スペイン政府観光局(2009年)






【作者プロフィール】
相馬正弘(そうままさひろ)
・京都市出身
・設計事務所を開設し、地域計画.都市計画.公園計画を中心に活動中
・大学の講師として後進の指導も
・趣味は、旅行.テニス

新連載「My Favorite Travels And Places(私の好きな旅と場所)は
ケータイ・サプリwebマガジンのための書き下ろしです。
使用されている写真の著作権は相馬正弘さんと記載されている方にあります。