My Favorite Travels And Places
(私の好きな旅と場所)
6.バルフルール(Barfleur)

【はじめに】

今回は、バス・ノルマンディー(Basse Normandie) コタンタン半島(Peninsale de Cotentin)北端に位置する、シェルブール(Cherbourg)から西に約25 Km、車で40分ほどのイギリス海峡(ラ・マンシュ海峡:La Manche)に接するバルフルール(Barfleur)を訪ねます。

この地は、ナポレオン1世(NapoleonT1769-1821年)が19世紀始めシェルブールの海底を浚渫し軍港として整備を図るまでのノルマンディーとイングランドを結ぶ重要な港の一つでした。

現在は、人口約650人の「フランスの最も美しい村」(Les Plus Beaux Villages de France)にも登録される、美しい家並をとどめる漁業と観光の静かな港です。

<ノルマンディーとイングランドとの関係図>



<シェルブールの港>



【ノルマンディーとイングランドの歴史をみつめてきた港】

バルフルールの港は、ノルマンディーとイングランドの歴史の表舞台にたびたび登場します。

中でも中世の“ヘイスティングの戦い”“ホワイトシップ号の遭難”に20世紀第二次世界大戦の“ノルマンディー上陸作戦”は、後世の歴史に大きな影響を及ぼす出来事であったと言えます。



“ヘイスティングの戦い”

ノルマンディー公ギヨーム2世(GuillaumeU1027-1087年)は、イングランド国王ハロルド2世(HaroldU1022-1066年)とイングランドでの王位継承権をめぐり戦うことになります。

1066年9月28日バルフルール港を出港したノルマンディー公ギヨーム2世軍は、イングランド南岸ぺヴェンシー(Pevensey)に上陸しへイスティング(Hastings)から約10km内陸のバトル(Battle)で10月14日ハロルド2世軍との覇権をかけた戦闘に勝利をおさめます。

同年12月25日にギヨーム2世は、ロンドンのウエストミンスター寺院で、イングランド国王ウイリアム1世(WilliamT在位1066-1087年)として戴冠式を挙げノルマンディーとイングランドを領有するノルマン朝が成立します。

そしてその血統は、今日のイギリス国王エリザベス2世女王(ElizabethU 1926年-現在)に継承されています。

<ギヨーム2世の“ヘイスティングの戦い”への出陣記念碑>


“ホワイトシップ号の遭難”

ウイリアム1世(WilliamT在位1066-1087年)に始まるノルマン朝は、ウイリアム2世(WilliamU在位1087-1100年)そしてヘンリー1世(HenryT在位1100-1135年)へと引き継がれます。

しかし1120年11月25日に、ノルマンディーとイングランドの王族や貴族約300名にヘンリー1世の嫡子であるウイリアム王子を乗せたホワイトシップ号が、バルフルール港からイングランドのプリマス(Plymouth)港に向かいますが、ウイリアム王子をはじめほとんどの乗員が溺死する遭難事故が起こります。

この後ヘンリー1世は、王妃も亡くし後継者ができなかったことから、娘のマティルダ(Empress Matilda1102-1167年)とヘンリー1世の妹の長男スチーブン(Stephen1096-1154年)との間で王位継承権をめぐる争いが起こります。

スチーブンは、1135年にイングランド国王として即位しブロア朝を起こしますが、マティルダ派との間で内戦が繰り返され無政府時代となり社会が疲弊し後の百年戦争の一因ともなります。


“ノルマンディー上陸作戦”

1939年に勃発する第二次世界大戦(ヨーロッパ戦線)で、優勢であったドイツ軍に占領されたフランスを解放するため1944年6月6日に敢行されたノルマンディー上陸作戦では、コタンタン半島のシェルブールからカーン(Caen)にかけての湾岸沿いのスウォード・ビーチ(Sword Beach)、ジュノー・ビーチ(Juno Beach)、ゴールド・ビーチ(Gold Beach)、オマハ・ビーチ(Omaha Beach)、ユタ・ビーチ(Utah Beach)と暗号名で呼ばれた五箇所の上陸地点から連合軍が侵攻し、激戦地となり多くの戦死者を出しています。

この作戦後の1944年8月25日には、連合軍がパリを解放し翌年1945年5月8日に終戦(ヨーロッパ戦線)をむかえます。

< ノルマンディー上陸作戦での戦死者慰霊碑(バルフルール.聖ニコライ教会)>


【バルフルール(Barfleur)】

バルフルール(Barfleur)の村と港は、二つの岬に包み込まれるような馬蹄形をし、外海の荒波を受けることの無い自然の良港です。

しかし、イギリス海峡(ラ.マンシュ海峡:La Manche)の約14mにも及ぶ潮位差は、引き潮の時水深7mほどの港の底が現れます。(広島宮島の厳島神社と同じ様相となります)

漁船は、海水の引いた岸壁に寄りかかったままやゴロゴロと港の底に横倒しになり停泊し、そして満潮を待って再び海面に浮かび上がり漁へと向かいます。

港の岸壁沿いには、潮風にも耐える花崗岩の壁とスレート(石板)の切妻屋根に煙突のあるノルマンディー様式の美しい家並みが続いています。

<バルフルールの港>


前回訪ねましたブーヴァロン・アン.オージュ(Beuvron en Auge)も、同じバス・ノルマンディーの海岸から少し内陸に入った、丘陵林の木(材)を生かし建築されたコロンバージュ様式と呼ばれる木組み構造の美しい家並みの見られる可愛い村でした。

< ブーヴロン・アン・オージュ(Beuvron en Auge)のコロンバージュの家並み>


これらの村々は、海岸沿いそして内陸の自然や立地から得ることのできる石材や木材を使い、それぞれの生活の知恵を集積させる中から生まれてきた建築といえます。

これらの村々の持つ共通した美しさや心地よさは、適度な大きさで生活に必要な機能や容量をみたし、人々の手や足や目の届くヒューマンスケールといわれるスケール感にあるようです。

そして、家々の大きさも家並みの規模にも、圧迫感や威圧感を感じることはありません。

家々や家並みの間に広がる空や海に丘陵を背景に、どこからも見ることができる村の教会は、自分の位置と方角も教えてもくれます。

バルフルールの歴史や人々の生活(知恵)の中から生まれ、はぐくまれてきた家々や家並みのデザインからは、親しさや温もりが伝わってもきます私の好きな場所でもあります。

そして、幾多の悲しい出来事や、激戦をみつめてきたバルフルールの波音(なみね)に、鎮魂の思いでそっと海を眺めてもいたい場所でもあります。

<バルフルールの港>




【参考図書.他】

・「フランスの美しい村」 菊間潤吾監修 新潮社 2002年11月
・「La Normandie」 ノルマンディー観光局 2009年版
・「The Longest Day」 コーネリアス.ライアン(Cornelius Ryan)1959年著 早川書房   1995年出版


【作者プロフィール】
相馬正弘(そうままさひろ)
・京都市出身
・設計事務所を開設し、地域計画.都市計画.公園計画を中心に活動中
・大学の講師として後進の指導も
・趣味は、旅行.テニス

新連載「My Favorite Travels And Places(私の好きな旅と場所)は
ケータイ・サプリwebマガジンのための書き下ろしです。
使用されている写真の著作権は相馬正弘さんと記載されている方にあります。