My Favorite Travels And Places
(私の好きな旅と場所)

10.リヨン・ラ・フォレ(Lyons la Foret)


【はじめに】

パリから北西に約100kmでルーアンからは東に約35kmのノルマンディーの丘陵に、ヨーロッパで最も大きなブナの森 (10,613ha) が拡がっています。

今回は、「フランスの最も美しい村」(Las plus beaux villages de France) にも登録される、このブナの森の中に微笑むようにそっとたたずむ人口約800人の小さな村リヨン・ラ・フォレ (Lyons la Foret) を訪ねます。

<リヨン・ラ・フォレ (Lyons la Foret) の村>


【リヨン・ラ・フォレ (Lyons la Foret) の由来】

現在のリヨン・ラ・フォレの地には、紀元前1世紀ごろにすでに集落があったことが確認されています。

西暦260年にローマ帝国から分離独立したガリア帝国の住居や劇場の跡に、当時使用されていた貨幣などが、現在のサン・ドニ教会周辺で発見されています。

そして、ガリア帝国の首都であったドイツのケルンからルーアンとボーヴェを結ぶ交通の要所でもあったようです。

その後一帯は、今日のフランスの起源となるフランク王国の成立がみられますが、バイキングの侵略や領有権に王位継承権争いが15世紀まで続きます。

1060年にノルマンディー公でイギリス国王でもあったギヨーム二世(GuillaumeU1027-1087年) が、この地の小高い丘の上に築城をはじめ、息子のアンリ 一世(HenriT1068-1135年)が、後にリヨン城 (Chateau de Lyons) と呼ばれる城を完成させます。

当時リヨン・ラ・フォレは、イギリス領ノルマンディーであったことに加えて、ギヨーム二世 (=ウイリアム一世) が、イギリス王室の創始者でもあったことから、今もイギリスからの観光客がたえないに人気の村となっています。

<リヨン城 (Chateau de Lyons) 跡(現在は住居)>


<リヨン城 (Chateau de Lyons) 跡のアンリ 一世の記念碑>

村の名称の由来には諸説がありますが、一説にアンリ一世の死後に付けられた聖ドニ・アン・リヨン(Saint Donis en Lyons) の名に因みリヨン・ラ・フォレ(Lyons la Foret = リヨンの森) と呼ばれるようになったとも言われています。

:ギヨーム二世 (GuillaumeU 1027-1087年)
ノルマンディー公ギヨーム二世 (GuillaumeU)としてイングランドを征服し、イギリス国王ウイリアム一世(WilliamT) としても即位しイギリス王室の創始者でもあります。

:アンリ 一世 (HenriT1068-1135年)
有能な支配者で碩学王とも呼ばれ、イギリス国王ヘンリー一世 (HenryT) とノルマンディー公アンリ 一世 (HenriT) を兼ねイギリス憲法の基となる戴冠憲章を定めています。 1135年リヨン・ラ・フォレで亡くなっています。


【歴史が微笑む静かな村】

リヨン・ラ・フォレは、14世紀にフランスでの王位継承権をめぐる争いとなった百年戦争(1337-1475年)の時代に荒廃します。

その後フランスのルマンディー地方として歴史を重ね今日に至っていますが、12世紀にアンリ一世により完成させたリヨン城とその城砦の一部は、礎をとどめています。

そして17-18世紀にかつての城砦と一体となり、木組み格子の美しいコロンバージュの家並みが寄り添うように築かれ、現在も住居や村役場に観光案内所などとして使われています。

村の中心は、今も木曜日に市が立つ18世紀に建て替えられた木造大屋根のレ・アールと呼ばれる市場と三角形をした広場です。

<木組み格子のコロンバージュの家並み>


<木造大屋根のレ・アールと三角形の広場>

このレ・アールから、ゼラニュームやベゴニアなどの花々で飾られた家並み沿いの坂道を北に進むと、かつてモーリス・ラベルが滞在し「クープランの墓」(1917年)の作曲や「展覧会の絵」(1922年) の編曲などを手がけた、村で最も大きなコロンバージュの館が見えてきます。

<モーリス・ラベルが滞在していた館>

:モーリス・ラベル (Maurics Ravel 1875-1937年)
名曲「ボレロ」などで知られるフランスの音楽家。

この館と県道321号を挟む北側には、17世紀に建てられたベネディクト派の修道院が、現在小学校として使われていて元気な子供達の声がきこえてきます。

さらにこの小学校の北側には、リヨン・ラ・フォレの村を包むように川幅2m程のリウール川が流れ、その先にかつて王侯貴族や領主達が狩猟をおこなった広大な森が拡がっています。

リウール川の川岸には、当時狩猟の折の休憩や宿泊にも使われた「三つの水車(小屋)」と呼ばれる小さな旅籠があり、現在も住居として人が暮らしています。

<「三つの水車(小屋)」>


<現在の 「三つの水車(小屋)」の窓辺>

今は外されてしまった地名となった水車は、かつて小麦を挽たりリンゴを絞ることなどに使われ第二次世界大戦前までは、村の電気をまかなう水力発電として活躍していたそうです。

村の中心は、外周約500m程ですこし離れた「リヨン城」や「サン・ドニ教会」に 「三つの水車(小屋)」 を訪ねても約1時間もあれば一巡できてしまうほどの小さな村リヨン・ラ・フォレです。

長い歴史と、北欧とイギリスの伝統や文化にフランスのエスプリのただようリヨン・ラ・フォレは、私の好きな場所でもあります。



【参考図書.他】


・「フランスの美しい村を訪ねて」辻啓一 著 角川書店 (2004年)
・「フランスの中世社会」渡辺節 著 吉川弘文館 (2006年)



【作者プロフィール】
相馬正弘(そうままさひろ)
・京都市出身
・設計事務所を開設し、地域計画.都市計画.公園計画を中心に活動中
・大学の講師として後進の指導も
・趣味は、旅行.テニス

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ケータイ・サプリwebマガジンのための書き下ろしです。
使用されている写真の著作権は相馬正弘さんと記載されている方にあります。