My Favorite Travels And Places
(私の好きな旅と場所)


33.バレン(The Burren)
  その2. アーウィーの洞窟(Aillwee Cave)

【はじめに】

今回は、バレン(The Burren)のアーウィーの洞窟(Aillwee Cave)を訪ねます。

アーウィーの洞窟は、先回訪ねたプールナブローンの巨石墳墓遺跡(Poulnabrone Megalithic Dolmen Tomb)から北に約5km車で20分程の距離に位置するバレンのカルスト(石灰岩)台地の地底に広がる鍾乳洞です。

<バレンの位置>


<バレン地域の主な街と史跡>



【アーウィーの洞窟(Aillwee Cave)の起源と発見】

アーウィーの洞窟は、約3億5900万年前から2億9900万年前の地質年代の石炭紀に築かれた石灰岩の基盤が、その後の約2億6000万年前をはじめとする何度かの地殻変動により海底が隆起し、バレンの陸域や対岸のアラン諸島の島々が生まれたことに起源します。(地殻変動は、現在も小規模ながら続いています)

アーウィーの洞窟は、約7万年前から1万1千年前にかけての最後の氷河期に当たるヴュルム(Werrm )氷河期の寒冷期に地中に涵養され凍結していた水(氷)が温暖期に溶けて流れ出した後の空洞だとされています。

洞窟の発見は、1940年バリーヴォーハン(Ballyvaughan)村の羊飼いの牧夫ジャック.マッガン氏(Jack McGann)が、放牧中に牧羊犬が追いかけた兎が逃げ込んだ穴を探索したことが発見のきっかけとなります。

彼は、蝋燭の光を頼りに未知の洞窟をたどり、後にグレート.カスケード(Great Casucad) とよばれる美しい滝にたどり着き、その滝口に自らの名前(イニシャル)を残します。その時記された彼の名前(イニシャル)は、今日も見ることが出来ます。

1970年からイギリスのブリストル大学洞窟学(Bristo Univercity Department of Speleogy)のトラットマン博士(Dr,E.K.Tratman)らを中心とする研究グループによりバレン一帯の洞窟探検調査が実施され、アーウィーの洞窟もその概要が明らかにされ洞内の正確な地図も作成されます。

<アーウィーの洞窟(入口)>

1976年には、観光施設として洞窟内の通路や橋に階段.手摺.照明などが設置され、さらに1991年に見学者用のトンネル工事も完成し洞窟内を周遊できる見学コースが整備されます。

今日私達観光客は、鍾乳石の間を流れるせせらぎを渡り間近に滝等を見ながら約1km40分ほどの地底探検を体験することが出来ます。

<アーウィーの洞窟見学案内図(写真:船山眞紀子)>

そして、バレンのカルスト(石灰岩)台地の炭酸カルシュウムを含む雨水が、二酸化炭素と反応し長い時間をかけて洞窟内に水滴やせせらぎとなって流入し、その水質と水量に洞内の風力や風向の違いなどにより様々な鍾乳石が生まれ不思議な地底の景観を造り出しています。

これらの鍾乳石は、1cm成長するのに約数百年から数千年の時間がかかると言われ、次のような鍾乳石を造りだしています。
・カーテン(Curtain)ともオーロラ(Aurora)とも呼ばれる板状の鍾乳石。
・ストロウ(Straw)と呼ばれる筒状の鍾乳石。
・壁面を流れる水により造られるフローストーン(Flowstone)と呼ばれる壁流石。
・棚田のように水を溜めて段状に流れるリムストーンダム(Rimstone-Dam)。
・地底に落ちた水滴が筍のように林立して出来たストラグマイト(Stalagmite)。
・ストラグマイトが繋がり出来たコラム(Colam)と呼ばれる石柱の鍾乳石。
などの鍾乳石。

<神秘的なアーウィーの洞窟(写真:船山眞紀子)>


<リムストーンダムやフローストーンの間を抜ける見学コース(写真:船山眞紀子)>




【アーウィーの熊】

洞窟内は、年間を通し気温が12℃前後と一定で、夏涼しく冬暖かく快適な環境であることから、かつて熊が冬眠していた熊の天国(Bear Heaven )と呼ばれる場所があり、現在そこには死んでしまった熊の骨が残っています。

この骨を残した熊は、放射性炭素年代測定調査で約1万年前まで生息していた羆(ひぐま)であることが確認され、アイルランドで絶滅した最後の羆(ひぐま)ではないかとも言われています。

そうしたことから熊がアーウィー洞窟のシンボルマークとされています。

<熊の天国に残される絶滅した羆の骨>


<シンボルマークの熊>

アイルランドの熊について、大変興味深い研究がトリニティー カレッジ ダブリン(Trinity College Dublin)=ダブリン大学とアメリカのペンシルバニア州立大学(Pennsylvania State University)を中心とする国際研究チームによって行われ、2011年にアメリカの学術誌 カレント・バイオロジー(Current Biology)に発表されています。

その要旨は、次のようなものです。

研究チームは、グリーンランド.ノルウェー.ロシア.アラスカ.カナダに生息していた北極熊242頭のDNAサンプルから、母性遺伝するミトコンドリア遺伝子を分析した結果、北極熊の親は約5万年前から2万年前にアイルランドに生息していた一頭の雌の羆(ひぐま)に辿り着くという内容です。

そして、約7万年前から1万1千年前までの最後の氷河期の気候変動に対応して北極熊が生きながらえたのは、アイルランドの羆(ひぐま)との異種間交雑の結果だとしています。

又、地球温暖化により減少する氷河や海氷の減少により絶滅が心配される北極熊を救う方法の一つとして、異種間交雑の重要性を認める中で今後の種の存続と保護対策の必要性を指摘しています。

北極熊のルーツがアイルランドの雌の羆(ひぐま)であるとする研究成果で、北極熊の絶滅を救えるのもアイルランドの血を引く羆(ひぐま)だとしています。

【地球の生い立ちを見つめてきたバレン】

バレンの起源は、地質年代の地球の創成期に遡ります。
そして、地殻形成や地殻変動に初期の造山運動(カレドニア造山運動)、氷河期.その後の造山運動(アルプス造山運動)など、地球の生い立ちと営みをつぶさに見つめてきたと言えます。

バレンは、私達が体験や想像し得ない数十億年の年月を経て、今日神秘的で幻想的な景観を見せています。

又、1万年前に絶滅したアイルランドの熊がアーウィーの洞窟の中で、その骨を残していると云うのも奇遇です。

計り知れない時間の流れを実感することのできるバレンの大地と地底のアーウィーの洞窟は、私の好きな場所でもあります。



【参考図書・引用図書・引用文献】
・地球の歩きかた「アイルランド」 ダイアモンド社(2010年)
・「旅」(アイルランド美しき旅) 新潮社(2009年)
・Aillwee Cave 公式ウエブサイト(2012年)
・「The Burren & The Aran Islands」Tony Kirdy 著The Collins Press(2010年)
・カレントバイオロジー「Current Biology」電子版 Cell Press(2011年)
・「アイルランドの自然」Embassy of Ireland / Japan(2012年)







【作者プロフィール】
相馬正弘(そうままさひろ)
・京都市出身
・設計事務所を開設し、地域計画.都市計画.公園計画を中心に活動中
・大学の講師として後進の指導も
・趣味は、旅行.テニス

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ケータイ・サプリwebマガジンのための書き下ろしです。
使用されている写真の著作権は相馬正弘さんと記載されている方にあります。