My Favorite Travels And Places
(私の好きな旅と場所)

39.常夏の楽園いやしの風が吹くハワイ

その6. プウコホラ.ヘイアウ国立史跡
(Puukohola Heiau National Historic Site)

【はじめに】

今回は、カメハメハ1世(KamehamehaT:1758-1819年)のハワイ諸島統一に深く係わり、 ハワイの歴史と時代を大きく変えるきっかけともなったプウコホラ.ヘイアウ国立史跡(Puukohola Heiau National Historic Site)を訪ねます。

プウコホラ.ヘイアウ国立史跡へは、ハワイ島のコナ(Kona)国際空港から西海岸沿いを走る国道19号を車で約45分北進し、左右に分岐するT字路を、カメハメハ1世の生誕地カパアウ(Kapaau)へ向かう幹線道路270号に沿って2〜3分のカワイハエ(Kawaihae)にプウコホラ.ヘイアウ国立史跡は位置しています。

<ハワイ島の地図>



<国道19号を北進しプウコホラ.ヘイアウ国立史跡へ。>




【ヘイアウ(Heiau:神殿)の起源】

無人のハワイ諸島に人々が住むのは、5世紀ごろタヒチなどから渡ってきたポリネシア人(Polynesian)に起源します。

彼らは、生活様式はもとより自然崇拝を基調とする神々とともに海を渡ってハワイ諸島にやって来ます。

大地.山.谷.石.水.滝.川.海.樹木.草花.火などの自然を、そしてそこに生きる全ての生物には精霊が宿るとする自然観と宗教観に、自然と精霊を汚すことの無いよう禁止事項を定めたカプ(Kapu:法規)と呼ばれる決め事により、独自の社会と生活の規範とした文化を築きます。

ヘイアウ(Heiau)は、古代ハワイの四大神を祀り神事や祭事の儀式を行う神殿(祭壇)です。

古代ハワイの四大神
・戦闘の神で山や海の神(クー)
・農耕の神で豊穣の神(ノロ)
・万物の根源で生命の源の神(カネ)
・死や死者の世界の神(カナロア)

そして、古代ハワイアンの島あるいは地域の首長により、多くのヘイアウがマナ(Mana)と呼ばれる神聖で神秘的な聖域に築造され、今日もその幾つかが残り史跡とし保護.保存されています。


【プウコホラ.ヘイアウ】

プウコホラ.ヘイアウは、ハワイ諸島の中にあって最大規模のヘイアウの一つで最後に築かれたヘイアウとしても知られています。

そしてハワイにおける歴史の転換期を象徴する背景を持つヘイアウでもあります。

プウコホラ.ヘイアウは、カメハメハ1世が司祭のカポウカヒ(Kapoukahi)から「プウコホラの丘に戦闘の神の一神であるクカイリモク(Kukailimoku)に奉げるヘイアウ(神殿)を創建すれば、ハワイ諸島を統一し王となる力を授かる」との予言により築造されます。

築造は、1790年から1791数年にかけ数千人もの人々により25mile(40km)先の精霊のやどる谷とされるポロルの谷(Pololu Valley)から、コハラの山(Kohara Mauntains)を越えて運ばれた石が積まれ築造されます。

プウコホラの地名は、ハワイ語で鯨の丘を意味し、沖合に回遊する座頭鯨がしばしば見られる丘であることに由来しています。

この地は、プウコホラ.ヘイアウが築造される以前の1565-1595年にかけて築造された神々を祀るヘイアウ(プウコホラ.ヘイアウの基壇となったヘイアウ)や1600年半ばに築造されたマイレキニ.ヘイアウ(Mailekini Heiau)に、沖合の海中に海の神の一神である鮫の姿をした精霊を祀るハレ.オ.カプニ.ヘイアウ(Hale O Kapuni Heiau)と一体となった聖域で、首長の住まいもあったと考えられています。

1966年10月15日にアメリカ国立史跡とし登録されています。

<プウコホラ.ヘイアウ国立史跡案内図 (国立公園局プウコホラ.ヘイアウ国立史跡事務所提供)



<プウコホラ.ヘイアウ国立史跡>



<プウコホラ.ヘイアウ(鯨の丘の神殿)(手前石積みはマイレキニ.ヘイアウ)>




【プウコホラ.ヘイアウはハワイ史の証人】

プウコホラ.ヘイアウは、司祭カポウカヒの予言通り1795年カメハメハ1世がハワイ諸島の統一を図ります。

このハワイ諸島統一前後の時代におけるハワイの歴史的変化には、1778年のジェームズ.クック(James Cook:1728-1779年)のハワイ諸島発見とヨーロッパ文化や技術等の伝来が大きく影響しています。

世界の文明の多くが何千年もの間、金属を駆使した道具や武器に装飾品を持ち発展したのに対し、1778年以前の古代ハワイでは金属製の道具や武器などを持たない文明として特徴ある文化をはぐくんでいます。

しかし、ジェームズ.クックがもたらした銃器や大砲などの兵器は、ハワイの歴史を一変させます。

カメハメハ1世は、自ら築造したプウコホラ.ヘイアウをハワイ統一のための要塞としイギリスから導入した銃器や大砲をプウコホラ.ヘイアウに隣接し海に近いマイレキニ.ヘイアウに装備します。

このことにより原始的な武器しか装備し得なかった多くのハワイの長首は、カメハメハ1世と戦っても勝機がないと半ば降伏せざるを得ず、ハワイ統一へと一気に機運がたかまり1810年にハワイ王国が誕生します。

金属製の道具や武器を持たなかったハワイの文化は、こうしてヨーロッパから金属製の道具や兵器等を受け入れます。

1819年カメハメハイ1世(大王)の死後王位を継承した息子のカメハメハイ2世リホリホ(Kamehameha II. Liholiho:1797年-1824年)は、その年の11月にそれまでのカプ(Kapu:法規)制度を廃止し、又1810年からはじまったアメリカからのキリスト教布教の影響も受け全てのヘイアウの撤収を命じます。

1825年王族の1人であったカピオラニ(Kapiolani-カピオラニ女王とは別人-)が女神ペレの信仰を放棄しキリスト教に改宗をおこなってもいます。

こうしたことから、ハワイにおける独自の文化や生活.習慣.宗教などの規範等は、ことごとくヨーロッパとアメリカの文化の影響を受けハワイの歴史と時代は大きく転換します。



<1930年のプウコホラ.ヘイアウ(鯨の丘の神殿)(ビショップ博物館所蔵)>



<海中のハレ.オ.カプニ.ヘイアウへ続く石垣道>




【歴史の証人プウコホラ.ヘイアウ】

プウコホラ.ヘイアウとマイレキニ.ヘイアウにハレ.オ.カプ二.ヘイアウが一体として保護.保存されるプウコホラ.ヘイアウ国立史跡は、ハワイにおける独自の文化や生活.習慣.宗教 を現代に伝える史跡であるとともに、ハワイ諸島統一と王国誕生にヨーロッパとアメリカの文化を受け入れた歴史と時代の転換期を見つめてきた証人でもあるともいえます。

ハワイのマナとよばれるプウコホラ.ヘイアウをはじめとする神聖で神秘的な聖域は、今日パワースポットやフィーリングスポットとして不思議な力や癒しを実感することの出来る場所ともされ知られてもいます。

鯨の見ることのできるプウコホラ丘の上で潮風に吹かれ、ハワイ統一とハワイ王国の創建をなしえたカメハメハ1世とその時代に係わった多くのハワイアンの思いや、ヨーロッパからやってきたジェームズ.クックをはじめとする外国人の様々な思惑や思いの歴史が伝わってくるプウホコラの丘は、私の好きな場所でもあります。



【参考文献.参考資料】

・「Puukohola Heiau National Historic Site Guide」
(U.S.A. Department of National Parks. Puukohola Heiau National Historic Site. O ffice) 2012.04
・「ハワイの史跡」(ハワイ州観光局)2012
・1930年のプウコホラ.ヘイアウの写真は、ビショップ博物館所蔵の写真で、掲載の 承認と許可を受けています。
・Puukohola Heiau National Historic Site Guide Mapは、U.S.A.国立公園局プウコ ホラ ヘイアウ国立史跡事務所作成の地図で、掲載の許可を当事務所で受けてい ます。








【作者プロフィール】
相馬正弘(そうままさひろ)
・京都市出身
・設計事務所を開設し、地域計画.都市計画.公園計画を中心に活動中
・大学の講師として後進の指導も
・趣味は、旅行.テニス

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ケータイ・サプリwebマガジンのための書き下ろしです。
使用されている写真の著作権は相馬正弘さんと記載されている方にあります。